2010/02/04(Thu)冬の影がとても重くのしかかるようで。。
先週。お隣に住む、ノンノが亡くなった。このお宅の老婦人は、とても強く心の美しい方で、私も子どももノンナと呼び慕っている。ノンノがずっと病気でいらしたことは、私達も知っていて、たまにちょっとしたお手伝いのため子どもを連れてお邪魔したこともあった。体はもう、とても細くなっていらしたけれど、でも、交わした握手の力はとても強かった。亡くなった朝、外に出て別のご婦人から知らせを聞く。いたたまれない気分で買い物を済ませ、家に帰る。すぐにでもノンナに会いにいきたかったけれど、それは失礼にあたるのかしら、どうかしら、と迷いながらいると、ドアの前には、ご家族が。家の中にいれてもらい、ノンナのそばに座って、一緒に泣いた。こんなに側で、人が亡くなる経験は始めてだ。ノンナが亡くなった時間、わたしは壁を隔てたその向こうで何も知らずいつものように、コーヒーを飲んでいた。人は人生の中で、生まれて来て、必ずいつかはこの世から消えていくもの。なのだな。。天へ上られた魂よ、安らかに。
帰りのバスの中、子ども達にも、ノンノの亡くなった事を告げる。アパートの建物のドアをいつものように開けて入るとき、デイビッドが聞いた事の無いきれいなうたを口ずさむ。私には、なんだか、ノンノへの歌のように聞こえた。
今週末は、日本の大切な友達の赤ちゃんが生まれたといううれしい知らせをうける。光に包まれ、安らかな顔をした赤ちゃんの写真を見て、息をすいこむ。
先日、昨年の家計簿を〆め終えた。大幅な赤字である。私達は、昔の貯金を使って子ども達を学校へ送り、故郷の国へ里帰りをして、小旅行をしていることの事実を改めて認識する。老後への蓄えも何もない。不安が襲う。数日間、私は自分が縮こまって息もあまりしていないような感覚にいた。生活の何かを返る時期なのだろうな。それは、前からも分かっていたけれど、こうやって目の前に金銭的な数字を確認すると、そこからもう逃げられない。お金に捕われたくないと思っているけれど、世の中で生きていく為には必要不可欠である。では、どうすればいいのか、何が自分たちのプライオリティーなのか、とにかく頭の中を自分への質問がぐるぐるまわる。すると、怖くて動けなくなる。
手を動かそう。止まっていても何も始まらないのだから。
日本に住む友人から便りを受け取る。ローマから自分たちの目指す人生を手に入れるために旅立っていった家族だ。真摯に、前向きに生きている人たちの姿を感じて、とても勇気づけられる。きっと、どこへ行っても思う物がすべて手に入る訳じゃない。人は悩みながら生きていくものなのだろう。無い物を嘆くより、今私にあるものに対して喜びを感じ感謝しよう。
昨日も、豆まきをして鬼を払った事だし。大丈夫、わたしはやれる。
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自宅から歩いて30秒の近さに、Cちゃん家族は住む。普段思うより見かけないのだけど、時々道ばたでばたりと会っておしゃべりしたり、思い出したように連絡を取り合い、家を行き来する仲である。Cちゃんは、Dと同じ年齢で、2人とも性質が似ているところがあるので、楽しく遊べるお友達だ。金曜日の夕方、私達3人がお宅へおじゃました。Indovina chi?を持参して。
家に着くなり、二組に別れてまず一ゲーム。すると、お母さんCが、「今日は、チョコレートのケーキを焼いたのよ」と声をかけてくれ、おやつの時間。卵なし乳なしのチョコレートケーキとてもおいしかったので、早速レシピをねだる。
某ドイツ玩具会社のねずみのゲームをまねて手作りしたゲームで、もりあがる。かえるの王子のお話をイタリア語と日本語2カ国語同時でやる。すると、デイビッドも「先生が学校でこんな話もしてくれたよ」と、半分人間半分はりねずみの子どもの昔話を。わたしは情けないけど、息子の話すイタリア語が半分もわからないわ。。。あとで、日本語で教えてもらえたらうれしいんだけど。。。。
今日の夕ご飯は、なあに?との母さんCの質問に、わたしは玄米よ。というと、「あら!うちも玄米。」「中身は?」「うちは、ペストご飯」「うちはグリーンピース。」なんだかうれしい。とてもたのしい夕方。
創造性とユーモアにあふれ、とても感じのいい素敵な家族なのだ。でも、今日のわたしはここで、「将来までずっと自分がどこで生活しどうやって暮らしていくのか明るい見通しがある、仕事をきちんと持っていて、家もある。」この安心感、このゆとり感がとてもうらやましく感じる。ああ、いやな私!でも、これがローマにいる私の心の中にずっとずっとあるのだ。これが表に出て来たり隠れたりいろいろはするけれど。でもいつもある。この不安定さから抜け出したい。でも、どうやって?本当の自分の道を知る、自由な人になりたい。あーあ!
今日は、デイビッドのクラスではローマ数字のXを勉強したそう。先生が黒板にはじめにクロスを書かれたので、これを見たデイビッドが「これは、漢字の十!」と言ったらしい。そこでみなで漢字とローマ数字のふたつの10を学ぶことになったらしい。それにしても、太古の人たちは、遠くに住んでいても物事に関するシンボルは、皆似たものだったような。数もそうだし、惑星に関するものも、と私が言うと、昔は、人々は物事ともっと直につながっていたのよ、と先生。帰り道、太古の人に思いを馳せながら家に着く。
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いつもデイビッドのクラスの子どもは、一日の終わりには校庭に出て自由な外遊び。今週から、ちらほらとあやとりをする子どもの姿。あらら、と思って1人の女の子に「わたしも入れて」と声をかける。2人あやとりをやってみると、なんと私の知ってるのと同じやり方!横に立っていらしたその女の子のおじいさんおばあさんもご存知の様子。あらら、あやとりって日本の遊びだとてっきり勘違いしていた。ほかのお母さんにも聞いてみると、「わたしも小さい頃やってたわよ。足でも同じ事やったんだけど、そのやり方は思い出せないのよ。」デイビッドも、クラスメートのマルコくんと2人あやとり。一緒にあやとりできる友達が見つかってよかったねえ!あとは、デイビッド考案のこのホッケーゲームの相手を飽きずにしてくれる子が見つかればいいんだけどなあ。私は、毎日学校から帰った後夕食の仕度を始める前まで、「ママ、やろう!」「あともう一試合!」と熱心にお願いされて付き合っているけど、大人は子どものように夢中になれないのよ。
明日は、同じ通りにすむCちゃんのお宅へ遊びに行く。Indovina chi?をして遊びたいのだそう!Cちゃん、ホッケーゲームはいかがでしょう?
昨夜、いやーな夢を見る。最近はずっと頭の中になかったはずの心配事がまたふっと沸いてくる。もう!私に光を!
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冬は、歩きながら光を求める。バスの窓からも、光を探して空を見上げる。凍り付くような寒い日の日中、葉っぱのもうない木々の枝の間から見える日の光のなんと美しいこと。今日も晴れ、コーヒーを片手に窓から朝日を眺める。窓をあけて、新鮮な空気を吸い込む。
もう春はすぐそこのよう。学校への通り道の桜の木がもう芽吹いている。誰かの庭のミモザも黄色い花を咲かせている。今年は暖冬。寒さをあまり感じずこのまま春になってしまうのは、うれしいようで、でも一方で為すべき事をせずに過ごしてしまうような気分である。
私は、どうやら冬の間は書けなくて、少し暖かくなると書きたくなるようである。
きのう仕込んだ味噌、初夏にふたを開けるのが楽しみだ。今日は、これからお米を買いに出かける。
夜、「わたしのワンピース」を子どもと読んでいて、私はペンタトニック音階に音を探して旋律をつけて読んでいた。すると、デイビッドもわたしの旋律に応えるように、彼のメロディーで私に話しかける。音楽的なコミュニュケーションができるなんて、すごい!
昨晩は、ソーラン節を口ずさんでいた。またどうして、どこからその歌が心の中にやってきたのだろう。
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朝、私の熱は下がったよう。ノエが自作の歌を歌いながら私を起こしにやって来た。あらら、子供の中から出てくる歌って、本当に5度の音階にのっている。
外はとてもいいお天気。そういえば明日は聖マルティヌスの日。彼が、今年もこの好天気を運んでくれたのかしら。あーあ、みんなで外へ散歩に出てひなたぼっこでもしたいものだ。せめて、たまった洗濯物を外に干そう。ノエは、私が病気になってからまたすっかりママっ子にもどり今日も朝から私にべったり。私が元気がないとやっぱり心配なのだろうな。母はやはり揺るがない大地のような存在であるべきだ。早く良くなろう。
そうそう、洗濯物を干す私の横で、ノエはシャボン玉をしながら、「ママ、ノエ、ダダのオフィスにいきたいな」「そう?じゃあ、きっとノエの幼稚園がクリスマスのお休みに入ったら行こうね」「そうしたら、(最上階にある)レストランに行きたい」「いいわよ。何が食べたいの?」「ノエは、ハンバーガー!」「ハンバーガーってサンドイッチのこと?(父娘の間では、ジャムをはさんだサンドウィッチを、ジャムハンバガー!と呼ぶため。)」「そう!サンドイッチ!」「ママはお魚かな?」「じゃあ、はんぶんこね。ハンバーガーとおさかな。」
何しろ、土曜日からは私自身が熱でダウン。昼前から寒気がして、熱を測ると38度。ゴードンに買って来てもらっていたラディッシュをすって大根湯を作り、布団をかぶって横になり少し汗をかくけれど、熱は下がらず解熱剤を飲む。一旦熱は下がるけれども薬がきれると熱は39度近くまで一気に戻る。これの繰り返しだった。月曜日、何か別の方法をとるべきと思って、腹をくくりベラドンナで熱を下げる方法をとる。熱は38度あたりから徐々に上がって一旦は40度手前に。レメディを摂る直後、毎回頭や顔が乾く感覚がするけれどその後、体の芯から熱や力が沸いてくる心地よい感覚。狙い通り40度をピークに体から汗が出始め徐々に熱は38度まで下がった。これで、晩に解熱剤を使えば、熱から克服できるだろう。期待通りの経過を得られて達成感はあったけれど、でも、39度、40度の熱って???これはもしかして?
デイビッドは、木曜日に熱を出してから次の日には家でよく遊んでいた。毎日徐々に熱も下がり、昨日はほぼ治ったかな?と思っていた。ノエは、土曜日の朝より発熱。熱は37度5分から38度後半あたり。せきと鼻水。ゴードンが、健康で子供2人の面倒をみてくれたのが本当に何より。「あなたが強いままでなにより」と言ったら、あわてて木をたたく迷信深いゴードン。何しろ彼の文化では、目の前の幸運を口に出して言うとそこにいたずら悪魔がやってくると言われているそう。
今日は、ようやく起き上がって家のことをできるのがうれしい。この3日、子供と全く遊べなかったから、今日は夕方までにこにこお日様のような母でいたいと思う(けれども、すぐに雷になる)。昨日まで元気だったはずのデイビッドが今日は朝から調子が悪そう。少し熱が上がり、布団をかぶると眠った。おかしいな、と思うけれど、今日は5時半に小児科の先生のところで診てもらう予定、タクシーで向かう。あとは先生に全部委ねられると思うと気が楽になる。
先生にデイビッドと私の症状を話すと、「これはおそらくインフルエンザよ」と。私自身も、自分が熱を出した時点で実は気付いていた、やっぱりそうか。確かに、デイビッドが初めに熱を出した時、「え?」と思う瞬間があった。でも、解熱剤が効いて、次の日から家で元気に遊んでよく食べていたので、喉とお腹の風邪だと思っていた。先生には、「もっと早く私に連絡してくれたら電話でアドヴァイスができたかもしれないわよ」と諭される。流行っている新型インフルエンザではないという直感はあったけど、きっと、最初の「え?」の時点で先生に一報入れておくべきだったのだろう。インフルエンザの場合、病気が思わぬ方向へ急激に向かう事もある。私自身、必要な時は先生の診断を仰ぎ、自分自身で囲い込まないつもりでいた。でも今回は、このラインの見極めが甘かったのだろうな。いつも超多忙な先生に、大分遠慮していた部分のある私。週末をはさんでいたこともある。でも、反省。勉強できてよかった。インフルエンザがどういうものなのか、今までよりわかった。
薬局で3人分の薬を購入。これまで一度に薬局でこんなに薬を買った事はなかったほどの量。でも、これで私達の病気の治療も正しい軌道にのった。あとは、それに従うのみ。安心。
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